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2018.06.10
カテゴリー: その他
セッションをしていると「すごく質問される!」と生徒から言われます。
なぜなら、僕は意図的に生徒たちに「質問」を投げかけているからです。
「質問の持つ力」
コーチングの世界では「質問力」なんて言われたりします。
コーチングは「その人が望むところにたどり着くために、伴走すること」と考えると、その人が本来望んでいるものを引き出すために質問をするということです。
小学生・中学生・高校生は、大人からたくさんの質問をされる経験自体があまりないと思うので、驚きながらも色々なことを話してくれます。
僕としても聴いていて楽しい時間でもあります。
でも、コーチングのために質問をしているわけではありません。
②に続く
2018.05.25
カテゴリー: その他
※本記事も僕の想い、あくまで一個人としての考えとして記載させていただきます。
【「教える」とはともすれば相手を殺すことである】
前回記事に引き続きです。
「日本大学のタックル問題」
心が痛いです。
教育者とは?教育者の在り方とは?教育の形とは?…
「監督」「コーチ」は教育者では無いのだろうか。僕は違うと思う。
自分たちの価値観を押し付けて、選手の行動を操作して良いのだろうか?
自分たちの価値観を押し付けて、選手を自分たちのために利用して良いのだろうか?
自分たちの価値観を押し付けて、自分たちだけが心地よくなる世界を創れば良いのだろうか?
僕の想いでは、すべてNoだ
いや、Hell noだ
※乱暴な表現も使い大変申し訳ございません。
僕も教育という分野に命を使う1人として、この件に関しては強い想いが抑えられませんでした。
2018.05.25
カテゴリー: その他
※この言葉は僕の「夢を叶える家庭教師」においては避けられない言葉です。
僕の想い、あくまで一個人としての考えとして記載させていただきます。
【「教える」とはともすれば相手を殺すことである】
とってもきつい言葉を使っていることは自覚しています。
ですが教育者としての立場を考えるならば、この言葉や感覚を常に持ち合わせている必要があると思います。
この感覚を持っていないならば、教育者にはなるべきでないとさえ思っています。
日本という国で生きている中で、「先生」と呼ばれる人、もう少しいうならば「先生と肩書のある人」の力はとても強いなと感じます。
関わる人の人生を左右するほどの力を持っているようにも感じます。
「教える」ことが「自分が正しいと信じる価値観の押し付け」になったときに、上記のきつい言葉に繋がっていく可能性があると思っています。
この上で、僕は「教える」ではなく、「持っている知識は提供する」「価値観に触れる内容は一緒になって考える、質問をする、本人が大切にしたい価値観を引き出す」ことに多くの時間とエネルギーを使っています。
絶対的な正は無い世界であることも理解しています。
でも僕は、1人1人の人間として生徒を尊重すると心に決めています。
年齢も性別も国籍も関係なく。
これが夢を叶える家庭教師として大切にしていることの1つです。